1. >
  2. >
  3. ホンダの歴史

ホンダの歴史

ホンダ

オートバイの世界トップシェアを誇るホンダ。今回はホンダの歴史について紹介します。

ホンダの創業者「本田宗一郎」

ホンダの創業者である本田宗一郎は幼いころから自動車や飛行機に強い関心を持ち高校卒業後、東京の自動車修理工場アート商会に入社し経験を積みました。
アート商会での働きぶりが認められ、支社を設立し独立。その後、エンジン部品の開発をしていましたが、太平洋戦争や南海大地震により続けるのが困難となり、創業した会社の経営から手を引きました。
1946年に本田は浜松市に本田技術研究所を設立し、原動機付自転車の製造・販売をしました。
陸軍が使用していた無線用小型エンジンを改良し自転車に取りつけたのが、はじめてのオートバイだったそうです。

ホンダの歴史

1948年に本田技術研究所を継承する企業として、本田技研工業株式会社を設立。
小型エンジンの改造ではなく、独自でエンジン開発に着手しA型エンジンを完成させました。
海外メーカーのエンジンを分解し研究をしていたそうです。
1949年にはA型エンジンを搭載したオートバイ・ドリームD型が制作されました。

1952年には全国展開のため、本社を浜松から東京へ移転。
その最中、カブF型が生産されました。カブF型は簡単に自転車へ取りつけられる原動機付自転車で大ヒットし業界全体の70%を占めていた時期もあったそうです。

1958年にはカブF型を超えるスーパーカブが登場。既存のオートバイと違う新しい乗り物として投入されました。
「誰でも乗れる」をコンセプトに交通環境や初心者でも乗りやすいことから多くの人に受け入れられ、庶民の足として普及していきます。
1960年には当時、バイク全体の販売台数が月間4万台だったのに対して、スーパーカブのみで月間3万台を達成。
1961年には累計生産台数が100万台を記録し、個人だけではなく郵便局や新聞配達などの商用車としても支持された乗り物になりました。
日本国内だけではなくアメリカにも進出し、スーパーカブは大ヒットとします。
その後、世界中に広まり2017年には累計生産台数が1億台を突破しました。

バイクレースで世界にホンダの技術を宣伝

1954年にマン島TTレース挑戦を明言し、1959年に初挑戦しました。
完走が難しいといわれていたレースで、出走した4台すべてが完走し、メーカーチーム賞も受賞。
1961年に初優勝しただけではなく、各クラスで1位から5位を独占しました。ホンダの技術力を世界に示した瞬間でした。